佐藤来夢は、人形制作を通じて人間の身体と向き合っている。その実践は、比喩や象徴としての身体表現に端を発するものではない。球体関節人形の制作技法を独学で習得するなかで、身体がいかにして組み立てられ、つなぎとめられているかという問いが立ち上がり、それが制作の起点となった。人体への関心はやがて東京造形大学での彫刻の訓練、さらに医学部解剖学講座での研究へと展開し、創作人形・彫刻・解剖学を横断する現在の実践が形づくられた。
作品は明確に「人形」としての構造を現前とさせる。球状の露出した関節は組み立てられた体を示す。表面は生命感の再現を目指すものではなく、石粉粘土による硬質な身体に油彩を施すことで、ひとつの身体が完成に至った時点を定着させている。物語的なポーズは与えられず、像は直立し、静止する。そこにあるのは、構築のプロセスが可読な身体——可視化された接点によって組み立てられ、維持されている構造そのものである。
佐藤の制作には、従来の人形スケールによる作品群と、作家自身の身体を解剖学的精度で再現した等身大の作品とがある。人形スケールの作品では、頭部の強調や身体各部の比率の操作といった造形的判断が人形という形式に固有の身体の見え方を生み出す。一方、等身大の作品では、歪曲を排した精密な複製が、人体と人形のあいだの距離を極限まで狭める。この二つの系列の往還が、佐藤の実践に固有の問いの幅をつくり出している。
脆さは、この実践を貫くひとつの主題である。関節や接続部は、可動を可能にすると同時に、構造的な弱点でもある。この物理的な脆さは、人形の構造において隠されることなくそのまま現れ、物質的な身体を持ち、他者や社会との関係のなかに置かれ続けることで生じる、より広い意味での不安定さとも重なり合う。球体関節人形という構造が、これら二つの次元を同じ場所に引き寄せる。
佐藤の作品は、人間の代替でも象徴でもない。組み立てられ、接合され、立っている。その構造的な明晰さを通じて、身体が成り立つとはどういうことかを問い続けている。